ずいぶん前になる。
僕がサーフィンを始めた頃、ローカルサーファーは神だった。
サーフィンがうまかった。そして、邪魔すると怒られる。
海の中では全てが神のローカルサーファーに支配されていた。
幸運と今は思っているが、幸運にも僕がサーフィンを始めた土地は田舎だった。
田舎のサーフポイントは、知った顔しかいない。だから見知らぬ僕が、そして乗れない僕がパドルアウトをするとローカルサーファーからの神の目線がとても痛い。
波を取ろうとパドリングを開始すると、『おい』と叫ばれた。
ワイプアウトすると、『サーフボードを離すな』と怒られた。共に前乗りでもなかったし誰にも危ない目に合わせていない、あれは僕の波だった。
ローカルサーファーは夜明けの30分後くらいに来るため、僕は、夜明け前に着替え終えて、浜辺で待ち、波が見えたらパドルアウトをし、30分サーフィンを楽しんだ。
ローカルサーファーが来ると、ピークから外れ、あと1時間半浮かんでいた。
そして、サーフショップにお世話になった。そうするともうあと30分乗れるようになった。それでもやはりその後1時間は浮かんでいた。
うまければ乗れるはずだ、と自分の下手さを嘆いた。
当時、とても厳しかった僕のサーフィンビギナー時代は、今の僕にとってかけがえのない経験となっている。
昔からある田舎のローカルサーファーを知ることは自分のサーファーとしての考え方確立に、とてもいいことだと思う。
体育会系のサーフィンとレジャーのサーフィンの二つは全く異なるものだけど、海では嫌でも共存させられる。
ローカルサーファーはローカルサーファーとして、ビジターやビギナーサーファーはそれとして、今一度、海に入る前に考えたい。
自分の立場とそこのブレイクにある和を。
どちらも相手を思いやらなければならない。
どちらも相手の立場を考えないとうまくいかない。
『ピークはおれたちのものだ』、というのもうまくいかないし、
『海は誰のものでもないはずだろ、何がローカルだよ』、というのもよくない。
日本に帰って懐かしのビギナー時代を過ごしたポイントに入ったときに、そのポイントがレジャーなサーフポイントになっていたとしたら、おそらく僕は相当寂しい気分になるだろうな。
なぜか、未だ、神のローカルサーファー領域のままでいることを望んでいる、不思議な感覚でいる。
それでも次の機会があれば、僕は間違いなくピークに座る。
お久しぶりです。1月11日にハッピーサーフィンに記入させて頂きました、O太郎です。NEWボード非常に調子良く無茶苦茶気に入ってます!日記読ませて頂きましたが、自分が波乗りを始めた頃と非常に似ていて昔を思い出しました。始めたのが19歳の夏と比較的遅かった自分は、当時住んでいた所があまり波が立たない所で波が立つとローカルで賑わうポイントでした。ローカルは絶対で、やはり波に乗せてもらえず夕方皆が帰り、波が見えなくなる位暗くなってから何本か乗ったりしました。自分の下手さを悔やみましたね。上手ければ乗れるって。また、昔のローカリズムは、ほんと独特で、ポイント路駐でも曲がって止めるな!と一喝されたり、パドリングで横切るだけで文句言われたり、もう無茶苦茶でしたね。でも、それがクソっ!上手くなってやるって自分の力になっているのも事実です。これは、仕事に対しても同じだと思います。規律社会が海の中には有りました。今は、当時の自分たちの苦労が無くなりましたね。ローカリズムが、良いとは一概に言えませんが、確かに無くなると何か淋しい感じが有ります。
O太郎さん、お久しぶりです!
先日メーカー工場で、働いている人に、何に乗ってるの?と聞いたところ、KONFUSION、最高だ。と言っていました。
良いモデルですよね!
同じ思いをされてたのですね。
同感です!ローカルサーファーを知っているということが価値のあることで、レジャーしか知らないサーファーにもなりたくないなとも思います。